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母さんの声

2018/ 09/ 21
                 



おれは東京生れの横浜育ちなんだが、オフクロが富山県出身者でね。親戚が富山に大勢いるんだ。
その中に、オフクロの弟で、絵に描いたような山男がいるんだよ。
おれや従姉妹は、ヤマの叔父さん、と呼んでいるんだけど。
寡黙で、優しくて、日に焼けてマックロで、お人好しで...。
だけど、山に入ると猿みたいにすばしっこい人。おれはヤマの叔父さんが大好きだった。
オフクロは、おれが結婚した次の年、病気で亡くなってしまった。
葬式の時は、叔父さんは大泣きしてくれた。オフクロが一番可愛がっていた弟だったそうだ。
 何年か前、ヨメさんと一緒に、叔父さんのうちへ遊びに行く事にした。
電話にでた叔父さんは、喜んでくれて、じゃあ今回は、剣岳に連れていってやる、と言った。
「えっ、大丈夫ですか、オレみたいなシロウトでも?」
と尋ねると、叔父さんは、ボソボソと、剣は優しいヤマだ、オレと一緒なら大丈夫、と答えてくれた。
おれはヘタレのくせに山男に憧れていて、あの美しい剣岳に登れるなんて!猛烈に興奮した。

だけど、明日は富山に旅立つって云う前の日、ヨメさんが、登山は嫌だって言い始めた。
何でだよ!ヤマの叔父さんがせっかく連れて行ってくれるんだぞ!
おれはヨメさんを詰問した。
ヨメさんは最初、言い渋っていたのだが、おれの剣幕に押され、くちを開いた。
「アンタがヤマの叔父さんと電話で話していた時...。
剣岳に連れてってくれるのワーイ!って大騒ぎしている時ね。
私の耳もとで”ヤメトキナサイ”って囁く声が聞こえたんだよ...。
あれ、お母さん(=おれの)の声だった...。」
結局、富山に遊びには行ったが、ヨメさんに月のものが来ちゃった、って理由で、剣岳は諦めた。
 登山予定日だった翌日。
おれたちはオフクロの本家でお世話になったのだが、従姉妹がおれに新聞を差し出して来た。そこには
「剣岳で落石事故。登山者2名死亡。」
と云う記事があった。
おれとヨメさんはその後いろいろあって、別れた。

数年後。
オフクロの法事でヤマの叔父さんに会った。
おれが話し掛けても、叔父さんはああ、とか、おおとか、ボソボソ酒呑んでただけだったが、
今度こそ剣岳に連れて行って下さい!とお願いしたら、
「ああ。...でも、またお前のオフクロに叱られるかも知れんねえ。」
と答えて、不器用に笑った。
おれは叔父さんに剣に行かない理由を話していないんだけどね。
別れたヨメさんはなおさらだ。叔父さんの家の電話番号さえ知らないんだから。
今思うと、おれたちは剣に行っても、遭難しなかったと思うよ。
叔父さんが一緒だしね。
ただ、オフクロが心配して、一寸でしゃばってきた、って思ってるんだ。
...母さん、ありがとね。

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